【宗教】神仏習合
神仏習合の学習まとめ。
古墳時代〜
神を伝える巫女が磐座(神が降りてくる場所)の前や水辺で儀式を行なっていた。
6世紀〜
朝鮮半島の百済から仏教が伝来した。その後200年神と仏が交わることはなかった。
「神が仏教に寄与し守り神になる形で始まった」
・仏教は新しい文明。文明開化を取り入れたい豪族と仏教を広めたい層がタッグを組んだ。中国唐(道教の神と仏の一体)を手本に、巫女の言葉(「罪の報いで神となった。神の身を離れ、仏教に寄与したい。」)を使って仏教を広めていった。
・聖武天皇、大仏建立の時代。大仏を覆う金が足りず、唐に行く途中で、大分県で祀られていた地方の神「八幡宮」を立ち寄った。八幡神のお告げにより国内で金を取ることができた。3年後、大仏が開眼すると守り神に招かれた。
・八幡神は、武士たちの熱い信仰を受け、武士の守り神となった。
第2ステージ(神仏一体)平安時代末期〜
「神は仏の仮の姿であるとした本地垂迹説による神仏一体」
・平安時代終わり、神と仏をごちゃ混ぜにする理論が広まっていた。
「本地(変身前の本来の姿)垂迹(変身後の仮の姿)説」
ー仏は日本を救いたいと思っていたいたが、光り輝くその姿は日本人に受け入れられないと思った。なので、仏が神の姿に変わり日本を救うこととした。
・1868年新政府による「神仏分離令」
背景:神社から仏教色を取り除いて、理想の神道を復活させ本来の美しい日本を取り戻したかった。そうすれば日本は良い方向に向かうと信じられていた。
結果:廃仏棄却。1945年まで国家神道となった。
純粋な神道、仏教だけが宗教とされた。
信仰の正しい姿とは?純粋なものだけが本当に正しいのか。
「良い加減」のおおらかな祈りが今求められているのではないか。
参考
歴史秘話ヒストリア「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」